2020年3月
保護猫 局長
2020年
3月
17日
保護猫の局長です。
一昨年の3月の寒い日に裏口の段ボール箱の中に隠れていたのを妹が見つけて私に何とかしろと教えてきました。
両手くらいの大きさだったので子猫だと思ったら疥癬というノミだらけの病気のひどい猫でした。
病院に行って血液検査をしたり注射をしたり薬を服用させたりしました。
体の皮が一皮むけるまでひどい状態だったので、ゲージに2か月くらい閉じ込めて看病しました。
時々ゲージからだしてよろよろと歩く局長を励ましてお寺の中を散歩をしました。
本当に元気になるのだろうかと心配しましたが、
一皮むけてこのくらいきれいな体になると食欲も出て夜の集会にもいくようになったり、すごいスピードで走ったり元気になりました。
が、最初に血液検査をしたときに、猫エイズと白血病だといわれました。
1年持てばいいと猫好きの人に言われていましたが、
昨年3月けんかもするし元気で1年たったから大丈夫だと思っていたら、
その年の8月
暑さに耐えられなくて8月28日に亡くなってしまいました。
忙しかったのもあり、具合の悪いことに早く気が付けなくて、午後五時半頃、最後を見取りました。
私は、この黄色の縞々の感じが大好きです。
1年とちょっとと短かったけど、とっても好きだったから悲しかったです。
動物供養塔ができて2日後に亡くなりました。林泉寺にいたかったんだなと思いました。
ももたろうと一緒に供養塔に眠っています。
猫のももたろう
2020年
3月
16日
この写真は3年前に亡くなった、14年間一緒に暮らしたももたろうです。
暮らしたというよりは、戦友でした。
林泉寺の前に孝養院というお寺に監寺のお役を頂きお勤めしました。
そのお寺に入寺するその日にももたろうに車でぶつかりました。
運転中、ドンとぶつかる音がしたので何事かと車を止めバックミラーを見たら手のひらサイズの猫があおむけになっていました。
車を降りて大丈夫か見に行ったら失神しているだけのようでした。
この近くで飼っている猫かと思いましたが、そのままにするわけにはいかないと思い、治ったら連れてこようと孝養院に一緒に行きました。
結局どこでぶつかったかも忘れてしまったので、そのまま暮らすことになりました。
お寺の庫裏はとっても古くて天上にはたきをかけると土がおっこってくるし、床は東側に傾斜しているし、夜になるとなんだか隙間風の音がして怖いし、寝ているときに腕に大きなムカデに巻き付かれるし、タヌキやハクビシンが夜外に遊びに来るし、とお寺自体もすごかったけれど。
修行道場から帰ってきたばかりで右も左もわからなくて大変だと思うことが多かった時、いつも一緒にいて助けてくれました。
本当に戦友だし、救世主でした。
ももたろうが死んでしまったときは1週間なにも手につかなくて2か月ほど、ペットショップに通いました。
何時までも一緒にという思いで供養塔を作りました。
時間がかかったけれど昨年供養塔が出来てよかった。
林泉寺に縁のある動物たちと共にずっと見守ってくれたらと思います。
わかっているかい死ぬんだよ そうお前さんもこのわたくしも
2020年
3月
1日
3月の言葉
わかっているかい死ぬんだよ そうお前さんもこのわたくしも 小倉玄照老師
青山俊董老師曰く
会葬の方々に私は語る。
葬儀の一つの意味は、旅立つ人が全心身を挙して、遺る者たちに語りかける一言の遺言を聞くところにある。
それは何か。
『死ぬんだよ、アンタ方も。いつその日が来てもよいように、毎日を大事に行きなさい。』
の一言ではなかろうかと。
老若男女問わず、予告なし、まったなしのこの日は来る。
いつお迎えが来てもよいような毎日、毎時間の生き方が出来た時、死者の遺言を聞き得たといえるのであり、同時にそういう生き方をすることこそが、なき人への最高の供養なんだということも忘れまい。
釈尊も「教えに従って良き生き方をすることこそ最高の供養。」と遺言を結ばれ、八十年の生涯を閉じられた。