林泉寺は焼津インター近くにある明るいお寺です。
永代供養、動物供養のことなどご相談ください。坐禅や写経も行っておりますので気軽にご参加ください。
寺子屋ではたくさんの子供達がお寺を親しんでくれています。

2022年11月

お釈迦様が悟りを開いた日 成道会

12月8日は、成道会(じょうどうえ)と言って、お釈迦様が悟りを開いたとされる日です。
成道会は、三仏忌というお釈迦さまにゆかりのある大切な忌日の一つです。

お釈迦様は29歳で出家し6年間の苦行の末、菩提樹の下で座禅修行をし、ひたすら瞑想を続けた12月8日の朝、ついに悟りを開かれました。
仏教の教えが生まれた日となったこの日は、成道会『おさとりの日』として感謝するための、法要や行事が行われます。

成道会の行事食はお粥にハチミツや牛乳などを加えた乳粥(ちちがゆ)です。
お釈迦様が村娘から乳粥をもらって元気を取り戻したという言い伝えに由来します。

最近では成道会の日に寺院にてお釈迦様の教えを多くの人に聞いてもらうようなイベントをしている寺院もあるようです。
12月8日は、お釈迦様に感謝して本堂でお参りをしてはいかがでしょうか。

お釈迦様
林泉寺の本尊様はお釈迦様です。
これは、本尊様を下から覗いたところです。



永代供養

永代供養塔
永代供養塔。
永代供養塔に大切に安置されお骨
観音様の隣に安置されました。

ご葬儀は10月17日に勤修させて頂きました。
11月27日に49日の法要を営み、ご家族近親者にて執り行いました。
法要の後、納骨をして、お経を読みました。
皆さんにご焼香をして頂き、厳粛のうちに終わりました。

鈴木さんが駐車場の花を植えてくれました。

林泉寺の駐車場に植えたお花

林泉寺の駐車場に植えたお花

菫と葉ボタンを植えてくれました。
いつも、どくだみやほかの雑草が生えていてきれいではないところが、
鈴木さんがお花を植えてくれたのでとてもきれいです。
ありがとうございます。

林泉寺の秋

梅の古木
梅の古木
秋になって葉っぱが落ちています。
木の真ん中から、万両が自生しています。
梅が咲くころになると赤い実と、赤い花のコラボが見られます。
周りには、万両の小さな木と、南天と千両が咲いています。


スズメより少し大きい鳥が遊びに来ました。


駐車場のもみじが色瑞ています


玄関先です。




鉢のもみじは今年の夏が暑すぎたのと、お水が少なかったためか葉っぱが勝ててしまいました。
木は大丈夫です。

近藤さんのもこちゃん火葬


もこちゃん

 11月15日に、林泉寺の駐車場で火葬をしました。
病気があったけれど、元気でした。
突然亡くなってしまったので、とてもびっくりしました。
と、ご家族皆さんが悲しんでいました。
三世代、7人でこられました。
林泉寺の本堂で、お別れのお経を読みました。
火葬は,移動できる火葬車のある業者さんににお願いしました。


林泉寺の本堂


皆既月食


6時30分頃

6時50分頃

9時20分頃

TVのニュースであまりにも言うので写真を撮りました。
焼津は雲がありました。
スマホなのでこのぐらい。

玄関の花


先月よりのミカンとイチゴ、それにグレープフルーツが加わりました。

グレープフルーツ、大きな実が4つほどついています。

お店で「これはいつ収穫できますか」
と聞いたら、「来年の2月頃」と言われました。
来年の2月まで玄関にあるかもしれません。
そう考えると、ミカンもずっと小さいままだし、来年の収穫時期なのか?
イチゴも花は咲かないし、いつになるのかなあ?
でも玄関がとっても賑やかです。
気長に待ちたいと思います。

徹夜疲れの山根


疲れて寝ている山根

昨日11月初日だというのに、山根は3時頃から落ち着かない様子になって、夜戻ってきませんでした。
門の近くで、一晩中ノラ猫が来るのを待ち伏せしていたようなのですが、ふぎゃーという喧嘩する声も取っ組み合いの気配もしなかったので、空振りだったようなのです。
朝、本堂から「山根ええ」と読んでおいて、朝課をやっていたら、本堂の入り口から「にゃーん」と帰ってきました。
捕まえて、昨日の夜お皿に出しておいたご飯を上げました。
そのあと、どこか隠れてねていたようで、姿が見えなかったのですが、1時頃呼んだら帰って来たのでご飯を上げてゲージに入れました。
やっぱり疲れているようで、文句も言わずそのまま寝ています。


お墓で日向ぼっこをしている姫


本堂の須弥壇最上階に上ってしまった太郎

秋露白如玉(しゅうろしろきことたまのごとし)

林泉寺の提示版
秋露白如玉(しゅうろしろきことたまのごとし)

秋露白如玉
(しゅうろしろきことたまのごとし)

融通無碍も、無我も、根底には本文がある

葉の上に宿る秋の梅雨は、美しい玉のようである。
たなびく風によって、左右に動くさまは、
自由無碍であり、葉の色によって、
緑にも、赤にもなる様子は、無我の境地である。

 みずからの人生の儚さを、『露』に喩えたのは、豊臣秀吉でした。
その『露』には、また、融通無碍であり、無我でもある、という側面があります。
人もそのようでありたいものですが、もっと大切なことは、どのような時にも、露であるという本文を失っていないことです。
 確たる自分があってこその、融通無碍、無我なのです。